たあべのひとり言

うつ病の娘との10年間 悩み解決ブログ

②双極性障害~不登校

不登校になる

学校に行けなくなって1ヵ月ほどは、仲の良かった友達が訪ねて来た時は、玄関先で話しをすることはできました。

明日は学校に行けるのではと期待をしてしまいます。ですが、朝は起きられません。
そして、友達とも誰とも会うことができなくなりました。
外にも出ることは一切なくなり、庭にも出られない状態でした。

カーテンを開けるのも嫌がり、ただ眠って眠って眠って眠っている日々でした。

理由

17歳の冬に学校にいけなくなってからの3ヶ月は、「今日は行けるかも」「やはりだめか」と学校へ休みの連絡をする。その繰り返しでした。

明日は行けるかな。行けるかも。
3学期は休ませよう。春になれば、きっと。


なぜ学校に行けなくなったのか。気分の良い時は少しずつ話をしてくれました。
今までの悲しかったこと。不安だったこと。嫌だったこと。頑張ってきたこと。
泣きながら途切れ途切れに話す娘の言葉をゆっくり聞いて、
いつも笑顔の裏側にそんな思いがあったことを初めて知りました。

高校に行けなくなった理由

順調に学生生活をこなしていたように見えていたのですが、やはりどこかで大学受験のプレッシャーが大きかったのだと思います。
そんな中、部活での骨折で
今まで我武者羅に走ってきたが、立ち止まらざるを得なくなったことで、全身の気力が抜けてしまったのだと思います。

時間が経てば治る?


学校行けなくなって1年は、まだ病気という認識もなく、時間が解決すると思っていましたので、病院に行く事は考えられませんでした。
ただ時間が過ぎるのを待っていました。

時間が経てば治ると思っていました。


カウンセリングは学校の勧めもあり、3カ所行きました。
娘は行くことができません。母だけで行きます。
その都度経緯を話さなくてはならず、この個人情報はどこへいくのだろう。そんな事ばかりが心配でした。
こんなに話して、それで娘よくなるのだろうか?
釈然としない思いと不安が募るだけになってしまいます。

診療クリニックも本人が行かないと薬がもらえないことを知りました。

カウンセリングは本人が話せてこそ有効なのではと思います。

今思えば…反省

◎反省

・一過性のものだと思い込んでいたことで、病気だと認識するのが遅れたこと。
・知識がないのに、知識を得ようとしなかったこと。
・娘は絶望感や不安感を強く感じているのだから、私は安心感だけを与えるべきだった。

ただ祈るだけでは何も解決しません。
しかし、周りが焦って闇雲に動いても良い結果は期待できません。

時期、気分、タイミングをみて、本人と一緒に診療クリニックなどを受診すると良いと思います。