たあべのひとり言

うつ病の娘との10年間 悩み解決ブログ

⑧双極性障害~「消えたい」

心療クリニック

職場を休んでいることもあり、そして何より元気に復帰したいという娘の希望で、診療クリニックを受診することにしました。

初日はやはり経緯の説明です。カウンセリングの方も同席で、
高校にいけなくなったこと、
高校卒業認定試験受けて短大に行ったこと、
就職してスポーツで靭帯痛めてしばらく仕事休んでいたこと、
一からの説明です。
ここでも帆人情報が気になります。

うつ病ですね。薬を出しましょう」この時初めて、気分安定に効く薬があることを知りました。薬を飲めrが仕事に復帰できる。…と思っていたのですが、
数週間を過ぎても効果がありません。

いろいろな薬を試しているうちに一回に10錠以上飲むことになりました。

「どうしてこんなに飲まなくてはいけないの」

これがまた娘のストレスになっていました。


何種類もの薬を飲みますが変化はありません。
この頃は、本当に薬で治るの?と疑問が大きく、娘も私も半信半疑でした。
どうしていいのかもわからず、知識もなく、先生に頼るしかなかったのです。

受診時、娘は、日によってハキハキ話したり何も話せなかったりします。
夕方でもまだ起きれない日が多く、通院の時間帯をいろいろ変えてみるのですが、殆ど診療クリニックに行けません。

「今日も来れなかったのですね」
私が近況報告をして薬ももらうという通院が多くなりました。

薬を飲めない日も多く効果は出てなかったのですが、

「病気ですから治療したら必ず治ります」

という先生の言葉を信じていました。

治したいという娘の気持ちは伝わっていたと思います。

ただ、娘の、現実の世界に存在していないような遠くを見ている目が気になっていました。

私はどうなってしまったの。

夜は全然眠れなくて怖い動画ばかり見ています。
昼間はずっとずっと眠り続けています。
ですから2週間に1度の受診も私1人で通うことが増えました。
いろいろ薬を試してくれたのですが、どの薬も効果がありません。

薬の数が多すぎたのと、眠っている時間が多いため、薬は溜まる一方です。

一般的なうつ病の薬は全く効かなかったのです。
そして食べることと眠ることしかできない状態でしたので、
非定型うつ病」と診断されました。


娘も自分の症状が気になったのか、インターネットで調べたり、本を買ったりして読んでいました。

うつ病」にもいろんな種類がある。

ことを知ったのですが、
娘の症状にぴったりする病状がないのです。

うつ病はやっかいな病気ですぐに治る病気ではないことはわかりました。

気長に考えなくては。
回復に10年はかかる病気なのだと思うことにしました。
焦りか消え、少しずつうつ病」が身近なものになっていきました。

消えたい。

家から出れないどころか、昼間はずっと寝る。
夜は怖い動画を見て、「消えたい」と言う。
「死にたい」に変わる言葉なのだとわかっていても、少しやわらかく聞こえる「消えたい」という言葉は、私にとっては「死なない」と受け取っていたと思います。

「消えたい」
今までの自分を否定するような、この世に生まれたことを悔やむようなその言葉は、無限に空白な感じで悲しい言葉でした。

職場復帰の初日の月曜日の朝です。
なかなか準備が進まない様子の娘、様子を見に行ってみると…。
「何をしてるの」
と叫んだのか声になっていなかったのか…。


娘が生きていることにただただほっとしていました。

あと数分遅かったらと、足が心が震えていました。

最悪の事態で思うこと

・本当に寄り添っていたのか

・危険なものは、目のつかない場所に置いてたつもりでしたが、まさか。と油断していました。
・本人ではなく、私自信が職場復帰できることを一番に願っていたので、娘の気持ちを汲み取れませんでした。
・態度や、言葉では、本当の気持ちは判断できません。