たあべのひとり言

うつ病の娘との10年間 悩み解決ブログ

⑦双極性障害~保育士になって

就職 ~保育士~

短大の卒業式後から家にいることが多くなっていました。
だんだん目に光がなくなっていきます。


そして入所式。
なんとか行けたものの、空虚の目になっていました。
研修期間になると、目に力が戻ってきた気はしました。
大丈夫!大丈夫!の気持ちで毎日送り出します。
感想を聞いても、「わからない、あまり覚えていない。」との返事です。

積極的で活動的だった就職活動の頃の元気さはありません。
初めての場所で初めての人達との関わりなのでしかたないのですが、「まさか、また行けなくなることはないだろう」と思っていました。

研修が終わり、保育園へ配属され、なんとか元気に通っていました。
持ち前の生真面目さと完璧主義さで、園長先生からも良い評価をもらっていたようです。

5月を乗り切れば大丈夫。私も娘もそう思っていました。

仕事に行けなくなる

職場のスポーツクラブにも入り、練習がとっても楽しそうで、
仕事から帰ってすぐに「行ってきますー」の弾んだ声に嬉しさと安堵が広がります。

よかった!5月切り抜けたー。
とほっとしていた矢先の出来事でした。


練習中に靭帯を痛めてしまい、松葉杖を使わなければならない状況になったのです。「足痛めたから迎え来て」と娘から電話がきた時、ものすごく嫌な予感がしました。「やっちゃったー」とその時の娘は笑っていたのですが…。

高校の時に骨折が発端で学校に行けなくなったことが、ぐわーと押し寄せてきます。

「車の運転はできるので、仕事には行かせてほしい」と願っていましたが、

「痛めた足では園児の安全を守れないので、ゆっくり休んで治して下さい。長期休暇だと思ってゆっくりしてください。」

入所した4月の不安定さを乗り越えてやっと元気になっていた娘でしたので、それはすごくすごく怖い宣告でした。

みなさんに迷惑をかけて休んでいるのだから、
遊んではいけない。
外出もしてはいけない。
何か家でできる仕事をしなければ。

ですが、
焦りと、もどかしさで、日に日に表情が変わっていきます。


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早く早く、治って。
これ以上休むと行けなくなる…。

・1週間目は
園児が喜びそうなエプロンシアターを作ったり、みんなに渡そうと折り紙をしたり、制作物に意欲的でした。

・2週間目は
作業もあまり進まなくなり、ぼーっとしている時間が増えてきました。

3週間目になると
何もできなくなり、職場からの連絡も憂鬱そうでした。

一ヶ月後
やっと怪我が治り仕事に復帰できることになりました。が、2日間は出勤できたものの・・その後全く出勤できなくました。

消えたい

先に進めなくなると決まって言う言葉「消えたい」です。

この言葉を聞くたびとてもとても悲しくなります。この世に生まれて今まで頑張ってきたこと、楽しかったこと、うれしかったこと、悲しかったこと、今までの全てを否定するかのような言葉に聞こえます。
これからの未来に希望も気力もない娘が悲しくて悲しくてなりません。

「消えたい」は「死にたい」に置き換えてしまいます。実際その意味かもしれないけれど、「消えたい」は「死にたい」よりも現実的でないので少しホッとしていたと思います。